山下優さんコラム第一回

「ありがとう」が存在しないプナン|山下優のお金ってなんでしょう?

最も尊敬されるのは、与えられたものを寛大な心で、すぐさま他人に分け与えることを最も頻繁に実践する人物である。その人物は、とても質素で、場合によっては、誰よりもみすぼらしい姿をしている。彼自身が贈与交換の通過点となり、ほとんど何も持たないからである。贈与されたものを、ねだられたら与えるだけでなく、自ら率先して分け、惜しみなく周囲の人々に与える。何も持たないことに反比例するかのように、より人々の尊敬を得るようになる。尊敬を集めることによって、ものやお金がますます彼のもとに集まってくる。すると彼は以前にも増して周囲に分け与える。

この人物とは、ボルネオ島のマレーシア、サラワク州の狩猟採集民「プナン」でビッグ・マンと呼ばれる、共同体の一時的なリーダーたちのことである。彼らの振る舞いや行動、言動に対しては、つねに人々の監視のまなざしが注がれ、人々をコントロールするというよりも、人々によってコントロールされることになるという。ビッグ・マンの奴隷、蓄財された財やお金の奴隷になることを直観すると、人はしだいに離れていく。ある種の、評価や信用で成り立つ評価経済が実装されているプナン。そんなプナンは、ありがとうと言わない。そもそも「ありがとう」という言葉がプナン語には存在しない。持ち込まれたものを借りても返さないし、ものを壊しても謝らないし、反省もしない。そんな彼/彼女らにとって、お金はどんな存在なのか。

「プナンの小宇宙では、持つことと持たないことの境界が無化された贈与と交換の仕組みが深く根を張っていて、貨幣を介して、持ちものやお金をためこもうとたくらんで外部から滲入してくる資本主義をばらばらに解体しつづけているのである。」本書より

「プナンの共同体でのものの循環は、ものの価値を、それを所有する個人の内側に位置づけるのではなく、次から次へと循環させ、共同で使いまわすことによって、劣化を促し、やがて自然へと帰還させていく。ものだけでなく、お金もまた、同じような仕組みで、またたく間に流れ、消えていくのだ。ものもお金も同様に、一ヵ所にたまったり、積み上げられたりすることはない。」本書より

人はみな、欲を持って生まれてくる。プナンも例外ではない。しかしプナンでは幼少期の頃より、個人的な所有欲が徹底的に殺がれ制約されることで、社会道徳として後天的にシェアする心が養われる。所有欲を捨てることで、格差の芽が摘み取られる。格差がない代わりに、個人の持つ向上心や努力などもない。「ありがとう」という言葉が存在しないかわりに、「よい心がけ」であると分け与えた相手の精神を称える「よい心」という言い回しが存在する。プナンの慾に対する考え方と「よい心」という言い回しは、あらゆる面での格差社会を生きるわたしたちに、お金や豊かさとは何かを問い、どう生きていくかを考えるきっかけを与えてくれる。

文・山下優(やました・ゆう)|
イラスト・小山ゆうじろう(こやま・ゆうじろう)|漫画家。『とんかつDJアゲ太郎』 第1巻〜第11巻発売中。『巻末解放区!WEEKLY週ちゃん』のイラスト。

『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』

奥野 克巳
価格 1,800円(税別)
発売中


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