「給料ゼロで幸せに生きる」防災ガール・田中美咲のお金を介さない生活。
肩書きを聞いてもどんな仕事をしているのかよくわからない人たちのリアルなお金事情を探ろうという連載企画「ところで、どうやって稼いでいるんですか?」。第6弾は「防災ガール」の田中美咲さん。東日本大震災をきっかけに福島へ移住し、一般社団法人「防災ガール」を立ち上げることになった田中さんですが、活動を続けているうちに「お金がなくても幸せに生きられる」と気づいたそう。震災後にたどりついた“給料ゼロ”の生活について尋ねました。
田中美咲(たなか・みさき)|1988年奈良生まれ。立命館大学卒業後、サイバーエージェントに入社。口コミマーケ・ソーシャルゲームのプランナーを経て、東日本大震災をきっかけに公益社団法人へ転職。福島県の避難者向け情報発信事業責任者に。2013年3月11日に「一般社団法人防災ガール」を立ち上げた後、社会課題専門のPR会社を設立した。「防災ガール」は2020年に“有機的解散”を宣言している。
ネット世代に、もっと防災の意識を
——田中さんは東日本大震災を経て「防災ガール」の活動を始めたんですよね?
はい。もともとはサイバーエージェントでソーシャルゲームのプランナーをやっていたんですけど、東日本大震災でボランティア活動をしたときに現状を知って、私はゲームなんかつくっていていいのかと思ったんです。それで会社を辞めて福島へ引っ越し、復興支援のお手伝いをはじめました。そうしているうちに日本は災害が起こる国にもかかわらず、なぜ同じことを繰り返すのかと思うようになって。しかも、防災業界は平均年齢も高く、若者の数も少ない。そういう状況をなんとかしようと考え、ネット世代を巻き込むために立ち上げたのが「防災ガール」です。
——具体的にはどのような活動をされているのですか?
いろいろやっているんですけど、商品開発がいちばんわかりやすいかもしれないですね。例えば、防災にも使えるミサンガを開発したり、無添加調理の非常食をつくったり。
——これまでどのくらいのプロダクトに関わったんですか?
6年間で30種類くらいの商品開発に関わりました。あとイベントの企画もやりましたね。2015年には渋谷区とナイアンティック・ラボと連携して、位置情報ゲーム「INGRESS」を活用した避難訓練を実施したこともありますよ。
——なかなか珍しい取り組みですね。
防災業界って行政とも連携しているのですが、新しいことにチャレンジしない風潮があって。だから、私たちがこうした企画をやることで、他の団体がマネしてくれたらうれしいなと思っています。
加速する波に乗ったら、ここまで来てしまった
——アイデアをマネしてほしいという考えは良いですね。
私たちが目指すのは、さまざまな人に防災意識を浸透させることなので、独占しても意味がないんです。あと、私自身が飽き性で、新しいことにどんどんチャレンジしていきたいから、一度やった企画にはあまり興味がないというか。
——自分たちだけで案件を抱え込みたいとは思わないんですか?
むしろライバルが増えることで業界全体が活性化するし、“防災で稼ぐ”人たちが増えればいいなと思います。
——そうすると、新しい団体は増えてるんですか?
それが実はまだで。もしかしたらある程度の心の強さがないと生き残れないのかもしれないです。私たちも立ち上げた頃は「命が関わるところで儲けるんじゃないよ」と言われることが多かったので。
——そうなんですね。
阪神淡路大震災が起きた1995年がボランティア元年と言われますが、それ以降「防災はボランティアだ」というイメージも強いですからね。今では私たちのような活動を理解してくださる人も増えましたけど。
防災ガールはお金稼ぎの手段じゃない!
——想像以上にさまざまなことに取り組んでいるんですね。
そうですね。でも、現在はお金をもらわない活動に切り替えました。2015年から一般社団法人化して、年商換算すると数千万円くらい稼いでいて、そうやってお金を稼ぎたければこのまま続けても良かったんですけど。
——どうしてお金をもらわないスタイルに?
私たちの目的は、あくまで「防災の普及」なので、このままだといつまでもそれが達成できないなと。それに、私たちが活動することで若手へのチャンスを止めてしまったり、業界の風通しや循環が良くないと気づいてしまったんです。それで2018年に社員を全員解雇して、あらためてボランティアスタッフとして関わる形に変えました。
——ものすごい決断ですね。
だから今は、どんなにお金を積まれても私たちは動きません。
——そして、防災ガールは2020年の3月11日に“有機的解散”をするんですよね?
そうなんです。やっぱり自分たちがいることで防災業界が活性化しないのは良くないなと思って。それなら逆に業界を困らせようかなと(笑)。
——困らせる?
防災について人任せにするのではなく、自分たちで考える機会を持ってほしいんです。だから、私たちが解散する代わりに、これまでのつながりやノウハウ、そしてお金をチャレンジしたい若者に引き継ごうと思っています。そのための教育プログラムをつくって、現在は6つの団体が受講してくれています。
——次世代に活躍の場を譲るための解散というわけですね。
はい。だから“有機的解散”と呼んでいるんです。そして、組織の解散の在り方もおもしろくしたいと思っていて。
——“おもしろい解散”ですか?
非営利団体の解散と聞くとすごくネガティブなものを連想するじゃないですか。もっとポジティブな、弾けるような解散がしたいんですよね。タンポポの綿毛が広がっていくみたいな。
——先ほど「防災ガール」をボランティア活動に切り替えたと話がありましたが、現在はどうやって稼いでいるんですか?
去年までは地域おこし協力隊として滋賀県長浜市に住んでいました。東京以外に住みたいと思っていたら、タイミング良く誘っていただけたこともあって。あと、去年の2月に防災ガールで培ったブランディングのノウハウを活かすためのPR会社を設立しました。でも、まだ給料をもらっていないので、オンタイムでは収入ゼロです(笑)。
——ゼロ!
はい(笑)。だけど、昔より裕福な気がしています。そのPR会社では、お金以外で支払ってもらうこともOKにしていて、ほしいものがないときにはじめてお金で支払ってもらうんです。例えば、鍼灸師さんには毎月鍼灸をしてもらう約束で契約しています。あと、八百屋さんから野菜をもらったり。お金を介さずにものをもらえるのはすごく本質的で良いんですよね。だから、お金はそんなに必要ないというか……。
給料ゼロでも、幸福度は確実に上がっている
——じゃあ、お金はあまり使わないですか?
まったく使わないですね。海外に行くのも出張がほとんどだし。
——買い物もしない?
無駄な買い物に意味がないなと思っていて。私自身、バックパッカーだったので、そもそも持ち歩けないものはいらない性格だし。所有欲がないんですよね。“シェア”が生活に溶け込んでいる。もはや街全体が自分の家みたいな感覚なのかもしれないですね。例えば、アート作品を買っても友達の家に贈ったり、本を買っても近くの図書館に寄贈したり。この前もすごく素敵な着物を購入したんですけど、友だちのシェアハウスに置いてきてしまいました。どうせなら、みんなに着てもらいたいなって。
——では、なおさら自分のためにお金を稼ごうとは思わないわけですね。
思わないですね。病気になったときのためのお金くらいは残しておきますけど、それ以外のお金は回した方がモノもチャンスも入ってくるので幸せになれる気がします。PR会社も軌道に乗りはじめて、少しずつお金が貯まってきているんですけど、きっと新しいことに投資しちゃうと思います。
——会社勤めをしていたときから比べると、だいぶ生活が変わったわけですね。
そうですね。当時はお金的には裕福でしたけど、それ以外のことが充実していたかというとそうでもなかったです。今は1日5時間だけ働いて、それ以外の時間を友だちと新規事業のアイデアを話す時間に使ったり、サーフィンに行ったりして費やしています。それでも普通に生きていけるし、幸福度は高くなったと思います。
——ちなみに、防災ガール解散以降はどんな活動をしていく予定なんですか?
大学院に通おうと思っています。ただ、すごく飽き性なので、もしかしたら半年後には気持ちが変わっているかもしれない……。やりたいことが本当にたくさんあって。今でもどうしようか悩んでいます。いや、どうなんだろう。行くと思いますけどね。多分(笑)。
文:すみたたかひろ 編集:ペイミーくんマガジン編集部 撮影:玉村敬太